はじめまして
鍼灸セラピストななさわゆかりです(^^)
まずは自己紹介
小学校1年生の頃だったか!?校庭に勢いよく駆け出し、転んで膝を擦りむいた私を上級生が保健室に連れて行ってくれ手当をしてくれました。
そんなことがあったからか!?学生時代は必ず保健委員に立候補!
高校の卒業アルバムには厚生委員で掲載されています(笑)
小学校4年生からミニバスを始め、中学高校とバスケ部に所属
突き指、捻挫、骨折、腰の炎症とケガも多く高校生の時に初めて鍼灸に出会いました。
高校卒業後は都内の専門学校へ進学
そして、専門学校卒業後は大手エステへ就職
バブルが弾けたとはいえ、まだ名残のあるサロンワークはとてもハードで、毎日日付をまたいでの帰宅…
週1の休みは目が覚めても起き上がることができず、気づけば日が暮れて休日が終わるなんて事も多々ありました(@_@)
疲れ果て、たまたま飛び込んだ鍼灸院
ステキな女性院長に
『若いのにお尻パンパンね!?』と鍼をひと刺ししてもらったら、触らなくてもお尻がプシュ〜っと小さくなるのが分かり、ビックリ仰天!?感謝感激あめあられ
『腕もパンパン!』と腕にもひと刺ししてもらったら指先まで電気が走ったような衝撃が!?
でも帰りには身体中のコリというコリが全てなくなったというくらい身体が軽くなり*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)’・*:.。. .。.:*・゜゚・*
当時エステティシャンだった私は
『手でもほぐしきれない所をなんであんな細い鍼1本がほぐしてしまうのか???』
不思議で不思議でしょうがく、今でもあの時の感動は忘れられません!
『いつか鍼灸の資格をとってエステと組み合わせて出来たらいいな〜』と思わせる出来事でした
都会での生活も10年ほど経て、地元山梨へ帰ることに
帰って半年ほどして母が病に倒れ、仕事を辞めて母の看病するも翌年に他界…
30歳を迎えた私にとって、還暦を目前に控え他界した母の死の影響は大きかったです。
『私、折り返し地点にいるんだ…』
母亡き後も祖母の介護がありましたが、とにかく行動しよう!と思いました。
その後、地元でご縁があり、働くことになったエステサロンにでは『人と環境に優しいものを』と、人を綺麗にしていく上で環境を守っていく大切さも教わりました。
殆どの期間を店長として携わらせていただき、本当に色々な経験をさせていただきました。
エステ業界活性化の為に立ち上げられた『エステティックグランプリ』という大会では第1回、第2回『エステ感動物語部門』で入賞
第4回では3ヶ月間に渡って3回行われる覆面モニターの審査の結果、724サロン中7位入賞
ベスト3への道は厳しくも覆面モニターでの数多くあるチェック項目審査でいただく200点満点
そして『お店に入った瞬間とても良い雰囲気を感じた』というコメントが何より嬉しかったです(*゚▽゚*)
エステティックグランプリのバックアップのもと行われた東北へのボランティアエステも大変貴重な経験でした。
忙しくも充実した日々を送り、30代も半ばを過ぎた時、鍼灸師の資格を取ろうと一念発起。
山梨には鍼灸の学校はなく、かといって仕事もすぐ辞められる状況ではなかったので、上司には無理を言いましたが2年間は山梨から毎日都内の鍼灸学校へ通いました。
そして7年半務めたサロンを退職し、神奈川のシェアハウスへお引越し。
最後の3年生の年は仕事も治療院の仕事へ切り替えて受験に挑みました。
家族や職場の仲間など、周りの方々の理解とサポートのおかげもあり無事鍼灸師の資格を取得しました。
今は週3回は都内の治療院で働く傍『鍼灸cafeなな茶話』としての活動もスタート。
何故cafeなのか!?
それはまた次回お話しますね(^^)
最後までお読みいただきありがとうございました